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こごみ堂ノオト☆vol.2 kogomidou.exblog.jp

ここちよいカラダ、ココロ、暮らし


by コゴミ
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寺田寅彦の「踊り」

さて、読み終わりました。
『寺田寅彦 バイオリンを弾く物理学者』(末延芳春 平凡社)。

なかでも、「踊り」に関する記述が面白かったので、少し抜粋します。

「~その時踊っていた妖精のような人影の中に、
死んだその人の影が一緒に踊っていたのだというような気がして仕方がない。
そして思う。西洋臭い文明が田舎の隅々まで広がって行っても、盆の月夜には、
どこかの山影のようなところで、昔からの大和民族の影が昔の踊りを踊っているのでは
あるまいかと。」

うーん、明治・大正でもそんな感覚なのか、と不思議に思いました。
現代でも、盆踊りや芸能ってなんか、異質の魅力があるように感じるのですが、
それは(純粋に「大和民族」かどうかはわかりませんが)その踊りに「昔の踊り」が見え隠れしているからなのかもしれません。
自分の中の「古い血」が呼び覚まされるというか、記憶がゆさぶられるというか。
ただ、古いものへの懐かしさを感じるだけでなく、
なにかの「きっかけ」がそこにあるような気もするのです。

そして、もうひとつ。
「普通の文学作品は一種の分析であるのに対し、連句は一種の編成である」
といって、連句と音楽の類似性、そして映画の構成にも興味を持っていた寅彦は
舞踊についてもこう語っています。

「舞踊というものをその幾何学的運動学的要素に一度解きほごして、それから再び踊というものを構成するとすれば、その第一歩はおそらくこの映画のようなものになりそうである。」

末延氏が、「舞踊の本質を「解体」と「再構成」の、モンタージュの概念を援用して分析している」と述べているように、なるほど創作舞踊っていうのは、表現したいものを一度解体して、振付というものに再構成したものであるように感じます。
舞踊だけでなく、創作という行為自体、「解体」と「再構成」なのではないでしょうか?

「思い」だけでなく、伝えるためには「再構成」する必要ってあるように思います。


なかなか面白い本でした。

by kogomi_dou | 2010-05-24 23:00 | 本やART