2010年 10月 04日
時をみる
原美術館で行われている「崔在銀 展 ~アショカの森」を見てきました。
アショカの森とは、古代インドの皇帝アショカ王が国民に「提唱した」といわれる「森」。
国民ひとりひとりが5本の樹を上、それを森として見守る。
5本の樹とは、
薬効のある樹、果実のなる樹、燃料になる樹、家を建てる樹、そして花を咲かせる樹。
(展覧会チラシより)
美術館の中にどんな森が出現しているのか、気になってみてきました。
見る前に印象的だった「アショカの5本の樹」というのは、
見ている間はすっかりと忘れて、
移り行く樹の肌の模様や、露、そして、切り取られた朝もやの空間など、
いつもより、密度の濃い時間の中に放り込まれた気分になりました。
中でも気に入ったのが、「flows」という作品。
額におさまった樹は一枚のモノクロの写真のよう。
しかし、よく見ると木々の葉は揺れ、日の影はどんどん暗くなり、
そのうち樹さえも暗闇と同化してしまう。
しかし、また日が昇り明るくなってくると少しずつ、樹の影が浮かび上がる。
その変化の最中に、暗くなるときには見えなかった「人影」のようなものが
見えたり、その影が「別の人」になったり。
「見る」ということを楽しむ、
そして、「闇」の恐ろしさ、「光」のありがたさも感じられるものでした。
「影が人の形に見える」って最近体験してなかったな。
それだけ、「見えないもの」って身近でなくなってしまったのかもしれませんね。
アショカの森とは、古代インドの皇帝アショカ王が国民に「提唱した」といわれる「森」。
国民ひとりひとりが5本の樹を上、それを森として見守る。
5本の樹とは、
薬効のある樹、果実のなる樹、燃料になる樹、家を建てる樹、そして花を咲かせる樹。
(展覧会チラシより)
美術館の中にどんな森が出現しているのか、気になってみてきました。
見る前に印象的だった「アショカの5本の樹」というのは、
見ている間はすっかりと忘れて、
移り行く樹の肌の模様や、露、そして、切り取られた朝もやの空間など、
いつもより、密度の濃い時間の中に放り込まれた気分になりました。
中でも気に入ったのが、「flows」という作品。
額におさまった樹は一枚のモノクロの写真のよう。
しかし、よく見ると木々の葉は揺れ、日の影はどんどん暗くなり、
そのうち樹さえも暗闇と同化してしまう。
しかし、また日が昇り明るくなってくると少しずつ、樹の影が浮かび上がる。
その変化の最中に、暗くなるときには見えなかった「人影」のようなものが
見えたり、その影が「別の人」になったり。
「見る」ということを楽しむ、
そして、「闇」の恐ろしさ、「光」のありがたさも感じられるものでした。
「影が人の形に見える」って最近体験してなかったな。
それだけ、「見えないもの」って身近でなくなってしまったのかもしれませんね。
by kogomi_dou
| 2010-10-04 10:46
| 本やART