2010年 09月 30日
ワタシをつくるもの
「からだ」のことや「気」のことについておしゃべりをして帰った夜、
「ワタシ」をつくっているものはナンダロウ、とふと思いました。
整体って、からだのバランスを整えることで不調(痛みや違和感)を軽減し、
「自分らしく」生活するお手伝いをすること、と思って仕事してますが、
この「自分らしく」っていうのは、どういうことなんだろうな、と。
からだの細胞は、一定周期に入れ替わる。
今日の「ワタシ」は、去年の「ワタシ」とは違う細胞でできている、とすると??
そうすると、やっぱりDNA(遺伝子)や記憶なんじゃないかなあ、と。
ようするに「ワタシ」をつくるための「情報」ですね。
それを思うとDNA(遺伝子)をなんとかすることはできないので、
アプローチが可能としたら「記憶」なのではないかしら。
意識の記憶、からだの記憶(どこかをぶつけて痛かった、とか)の
ブロックをなんとかすれば、少しラクになることもあるのではないだろうか。
でも、だからこそ「記憶」にアプローチすることは慎重な態度が必要。
「記憶」に残るからこそ、不必要に不安・不信感を抱かせないように。
では、なにができるのか?
それはやはり、「心地よかった」「ラクになった」という思いがうまれるような
施術をすることなのだと思います。
まあ、基本中の基本ですけど。
そういう思いの体験が増えれば、からだも変わってくるのではないかと思っています。
「ワタシ」をつくっているものはナンダロウ、とふと思いました。
整体って、からだのバランスを整えることで不調(痛みや違和感)を軽減し、
「自分らしく」生活するお手伝いをすること、と思って仕事してますが、
この「自分らしく」っていうのは、どういうことなんだろうな、と。
からだの細胞は、一定周期に入れ替わる。
今日の「ワタシ」は、去年の「ワタシ」とは違う細胞でできている、とすると??
そうすると、やっぱりDNA(遺伝子)や記憶なんじゃないかなあ、と。
ようするに「ワタシ」をつくるための「情報」ですね。
それを思うとDNA(遺伝子)をなんとかすることはできないので、
アプローチが可能としたら「記憶」なのではないかしら。
意識の記憶、からだの記憶(どこかをぶつけて痛かった、とか)の
ブロックをなんとかすれば、少しラクになることもあるのではないだろうか。
でも、だからこそ「記憶」にアプローチすることは慎重な態度が必要。
「記憶」に残るからこそ、不必要に不安・不信感を抱かせないように。
では、なにができるのか?
それはやはり、「心地よかった」「ラクになった」という思いがうまれるような
施術をすることなのだと思います。
まあ、基本中の基本ですけど。
そういう思いの体験が増えれば、からだも変わってくるのではないかと思っています。
by kogomi_dou
| 2010-09-30 10:01
| お手あて